おつかれさまです。ムートです。『ライオンのおやつ』に関する記事はこれが二本目です。前回はあらすじや感想を軽く書きましたが、今回は『ライオンのおやつ』を読んだ人と交流するための記事を作成します。
この記事はネタバレを含むうえ、わたくしムートの考えや解釈(悪く言えば不純物)が多く含まれます。みなさんの感動したシーンや心に残った言葉は何ですか。コメントいただけると幸いです。
ごちそうさまでした。この言葉で雫さんは旅立ちました。改めていい言葉だなと強く感じます。見送ったマドンナもクスッとなっていました。本を読んだ読者の多くが印象に残るシーンだと思います。
その後の二日目のマドンナの言葉にもありましたが、死ぬときのあれはどうだったのでしょうか。自分も死ぬときの楽しみとしてあれを取っておこうと思います。もともと、この本は著者である小川糸さんが母の癌をきっかけに書いたものだそうです。死を得体のしれない恐怖ではなく、少しでも死ぬのが怖くなくなるようなおなかにも心にも優しい、お粥のような物語を目指したそうです。(目指した通りの名作です、、、すごすぎる、、、)
一日一日をきちんと生きること。ご飯をおいしく楽しく食べること。朗らかに元気よく素直でいること。毎日の食事と家族や友人とのつながりを大切にしていきたいです。この本を読み晴れやかで生まれ変わったような気分になりました。
前述の気づきは言葉にするとひどく当たり前だなと思います。しかし、忙しい現代を生きる私たちがしばしば忘れてしまうことでもあると思います。「だからこそ忘れてしまったら立ち止まって、また戻って、読み返せばいいんです。」マドンナならそんなことを言ってくれるかもしれません笑。
(追記)ブログを書き始めて気づいたこと
p.30にて雫さんは「本当は妹がほしかったけど・・・」とあります。つまり最終的には雫さんの夢は叶い妹も犬とも過ごすことができていたのです。本の中に書かれていた言葉を借りれば、病気になったから出会えた、知ることができたのかもしれません。
『ライオンのおやつ』のタイトルの通り美味しそうな食べ物がたくさん出てきます。毎朝の楽しみで寿命が延びてしまうほどのお粥に始まり、醍醐(蘇)やレモン、豆花、鴨の塩釜焼、ワイン、アップルパイ、バナナにミルクレープ、おにぎり。。。書いているうちにおなかがすいてきました笑。それぞれの食べ物にはそれぞれ人の思いが詰まっていて、これらを味わうように今を大切にしたいなと思います。
そして特に、食事の楽しさやありがたみをこの本を読んでから痛感します。どれだけ自分がご飯に助けられていたかを気づかされました。第一志望の大学に落ちた夜、母は僕の大好きな豚の生姜焼きを作ってくれました。就職が決まり上京が決まったとき、実家で食べる最後の夕飯には母の得意料理であり、僕がリクエストした鳥の香草焼きを作ってくれました。自分は母に相談したり感情をあまり言葉にすることはしない息子なのですが、そんな僕を母なりに励ましてくれていたんだろうなと最近になって知りました。
自分が自分のことで精いっぱいになって、不甲斐ないときにも支えてくていた人がいたんだなということを痛感させられました。だれかの優しさや親切に気づき、だれかの寂しさや孤独に寄り添える人間になりたいなと思います。
余命宣告をされたシーンはすごく胸が痛いシーンでした。ボロボロ泣きながら読んだので強く印象に残っています。
我慢に我慢を重ねてきたのに、痛みや苦しみに耐えてきたのに、それがすべて水の泡になってしまった。自分に腹が立ち、自暴自棄になって父からの大切なぬいぐるみを傷つけてしまいます。家族のように大切な存在を傷つけることをやめたいのにやめることができなくて、子どものように地団駄を踏んで泣くことしかできない。厳しい環境を前に無力な自分を自覚してしまうこのシーンです。
息もつかせぬほどの雫さんの思考を書き綴っており、感情や行動の臨場感が雫さんのやるせなさを表現しています。自分はこのシーンが悲しいですが、すごく人間らしくて好きです。リアルさみたいなものが好きです。
時として人は、自分の大切な人や大切にしたい人から傷つけてしまい、そんな自分が嫌になって、そのイライラをまたその人たちにぶつけてしまうという悪循環に陥ってしまうことがあると思います。自分は特に中学高校の不安定な時期にこの状態でした。当時はいつも辛かったし、苦しかったですが、それでも家族は自分を支えてくれていたんだなと発見がありました。
さて、マスターの死はそのときほどの暗い嵐をもたらしかけました。しかしここで活躍する六花さんとシマさんです。六花はご飯を催促し、尻尾を床にたたきつけるように振り、食堂へと促します。そして次の俺的名言集に場面は繋がっていきます。
『ライオンのおやつ』は一人一人が素敵な人物で、本当にいい言葉を残しています。誰の言葉を紹介するか本当に迷いました。すごくすごく迷いました。自分と自分の人生に向き合った人がたくさん登場してくるため当然といえば当然ですね。しかし今回はシマさんのこの言葉を選びました。
マスターの死に動揺する雫に対して、だれもいない食堂でシマさんはご飯を温めなおしてくれました。泣きながら食べる雫に普段は寡黙なシマさんが前歯にのりを貼り付けて言ったこの一言。
「せっかく生きているんだからさ、おいしいものを笑顔で食べなきゃ」
狩野シマ
このセリフの後になってから、シマさんが病や妹の舞さんへの複雑な思いを抱えていたことがわかってきます。それでもシマさんはマスターの死を悲しむ雫さんに向けて自分のキャラにもなくあえておちゃらけて見せました。シマさんの強さとやさしさが詰まったこのセリフ、このシーンが自分は大好きです。さらにこのセリフが続きます。
「私もさ、いっつもここで料理作ってると思うんだ。生かされているんだなぁ、って。だって、生まれるのも死ぬのも、自分では決められないもの。だから、死ぬまでは生きるしかないんだよ」
狩野シマ
この言葉は今日の自分を支えてくれます。死ぬまでは生きるしかない。この本を読んでない人には「何を当たり前のことを笑」とバカにされるかもしれませんが、この行間に生死の本質があるような気がします。将来の死にどうしても注意がいってしまいますが、今私たちにできることは生きることしかないという肯定的なあきらめが好きです。(達観という日本語が近いのかな。)一日一日を大切に笑顔で豊かに過ごすこと、幸せであろうとすること忘れないでいたいです。
今を生きる。シマさんから大切にしたい言葉いただきました。
雫さんはもちろん、マドンナや百ちゃん粟鳥洲氏と共有したい人がたくさんいるので続編を書くかもしれません。
読み終わったときにお寿司屋さんでのシーンには違和感がありました。二人の記憶が違ってないですか?と。読み直して気づきました。全く時間軸の違う食事会だったんですね笑。
まずは二人の記憶をそれぞれ整理します。
- 雫さんp.7:(海とに浮かぶ島影から父のおにぎりを思い出す)
五年くらい前(雫さんが28歳くらいのとき)、父が出張で会社の近くまで来た時。父が誘った。会社近くのお寿司屋さん。何を話したかは覚えていない。世間話と思われる。父がお勘定をする。 - お父さんp.234:(雫とケンカしたことはなかったのかという質問から)
雫の社会人一年目(22歳の時?)、雫が誘った。ボーナスが出たから。雫が外に一服後、「イメージと違うな。」と発言する。それに対して雫は「私のイメージって何よ」と食ってかかる。
すぐに雫がお勘定を払い店を出る。
7ページの段階からおにぎりにお寿司屋さんと最後のページに続く伏線のようなものが散りばめられていますね。
五年前の食事会では雫さんはタバコを吸いに行ったのでしょうか。それとも、もう禁煙していたのでしょうか。父を気遣って無理をして食事をしたということは読み取れませんから、時がたって喧嘩の記憶も薄れ、気にしていない様子が読み取れます。
一方、父はどうでしょうか。ここからは読み取れないので想像するしかありませんが、自分は気にしていなかったように思います。なんとなくそう思います。
お互いがお互いを大切に思っている家族でも全てを理解することはできません。だから雫さんは父に私の片側しか見ていないと怒ったのです。なかなか難しいですが、自分の大切な人に対して理解しようとし、相手の話をよく聞くことを行っていきたいなと思います。
最高の本に出会えました。ごちそうさま。