筆者は、勤怠が30分管理の会社で働いています。
残業時間の制限があるため●時29分や、●時59分にタイムカードを切る生活をしています。定時の30分前には会社に行き、休憩も昼休みも返上して仕事してぎりぎりまで働いています。
なんだか泣きそうになります。自分の仕事の効率が良ければ、、と考えながら働いています。
その中でふと考えました。なぜわたしたちは働くのでしょう。
「働く」とは仕事をする。労働する。特に職業として、あるいは生計を維持するために一定の職に就く。ことを表します。
「仕事」とは何かを作り出す。成し遂げるための行動。生計を立てる手段として従事する事柄。職業。
「労働」とはからだを使って働くこと。特に収入を得る目的で、体や知能を使って働くこと。
(goo国語辞典より)
どれも生計の維持といったお金関連のことがでてきます。
この辞書から考えたことは、仕事の中で感じるできなかったことができるようになる達成感といった喜びや自分の仕事が誰かの役に立っている所属の意識も仕事や労働の一種だなと思いました。
労働や仕事といったシンプルな言葉は難しいですね。
日本国憲法第27条にはすべての国民は勤労の権利を有し、義務を負うとあります。
労働能力があるけど働く場所がない人は相応の生活を要求する権利があると読み替えるようです。難しい言葉では生存権保護のような観点が労働の権利にはあります。
一方、労働の義務はあくまで思想の表現であり、本来の義務規定はないとされているようです。
憲法ムズイ。
最近読んだ本、「下町ロケット」では働くことを二階建ての家で表現していました。
一階はお金を稼ぐスペースです。自分や家族の生活を守るための一階です。これが小さく、安定しなければ家はつぶれてしまいます。
しかし、一階だけでは味気ないです。二階部分は夢です。仕事で達成したい目標や実現したい夢のために働くという考え方です。やりがいとも言い換えることができるかもしれません。
二階だけが大きくても家は崩れてしまいます。
一階と二階のバランスを人は一生、考えていく気がします。それこそ、その日の体調や仕事内容によって常に変化していくものです。
労働には税金を納め、自分で生計を立てていくという側面があります。いわゆる親や社会の中での”独立”とも言われます。
視界を大きく広げビーバーの独り立ちを紹介します。
ビーバーは北アメリカの川に生息する哺乳類で、鋭い歯を利用して木を切り倒しダムを造ります。
倒した木で川をせき止めて池を作り、その池の真ん中に巣を作り、コヨーテなどの敵から身を守っています。ビーバーの子どもは、親が作ったダムの修理を手伝いながらダムづくりの方法を学びます。
そして二歳を過ぎると、ひとり、ダムを造るため放浪の旅へ出るのです。
しかし、ダムづくりは容易ではありません。自分だけでは作ることができず、実家に出戻りするビーバーもいるようです。兄弟たちと一緒に一年間巣作りの修業をやり直すのです。
このように独り立ちがうまくいかなければ、自分の原点に立ち返ってみることも一つの手段かもしれません。自分の中での迷いが葛藤があるので今日は久しぶりに実家に電話してみようかなと思います。
参考資料
日本国憲法
池井戸潤 著「下町ロケット」
今泉忠明 著「ざんねんないきもの事典」