アイスクリームと私。字幕を使った時間の流れに注目。【永井祐】

はじめに

永井祐さんの「広い世界と2や8や7」からひとつ短歌を紹介します。

現在2022/7/31です。非常に暑いです。

そのため今回は涼しげに、アイスクリームが登場する短歌です。エモい夜を永井さんが具体的なエピソードをもって表現しています。

アイスクリームの短歌

早速今日紹介する短歌がこちらです。

「大事そうにアイスをつつく 一晩で字幕はたくさん流れていった」

この短歌を詠んだとき、私自身は静かな穏やかな夜を思いました。

それと同時に、いきものがかりさんの「月とあたしと冷蔵庫」という歌を思い出しました。(こちらも静かな夜を過ごしたいときにはおすすめの歌です。名曲です。)

どんな場面の歌?

仕事が終わってクタクタになった夜に、アイスを食べながら映画(洋画?)を見ている場面でしょうか。

片手にアイスのカップともう一方にスプーンを持ち、カチコチに固まったアイスを大事そうにつついています。アイスがカチコチ固まっていてなかなか食べられなくてもイライラした様子はありません。しかし、「字幕はたくさん流れていった」というフレーズから映画に集中しているということもなさそうです。

主人公はアイスクリームに今の自分を重ね合わせているのかもしれません。仕事で忙殺され、心と体はアイスクリームのように固まってしまっています。スプーンではすくうことができないほどの状態です。これを時間をかけて、ゆっくりほぐしていきます。

字幕が登場するため洋画を見ているのでしょうか。遠くの世界の話を見ている描写が現実から距離を取った一時の休息を表しているのかもしれません。

そうしてアイスクリームは時間経過(字幕はたくさん流れていった)とともに溶けて、だんだんと柔らかくなっていきます。主人公の心と体もこのアイスクリームのようにほぐれていくといいなと思います。主人公はアイスクリームと映画を使って、仕事と私生活のバランスを取っているのでしょう。

厳しい社会を生きる私の姿がこの短歌からは見えてきます。社会という見えない敵と戦って消耗して、それでも立ち上がって、、、という姿です。その束の間の休息を主人公は送っており、この主人公の平穏が少しでも長く続くことを祈ります。

最終フレーズの解釈

「一晩で字幕はたくさん流れていった」というフレーズは様々な解釈が出てくるフレーズだと思います。

  • 夜はすぐに終わってしまい、また朝が来てしまう。明日も戦うのかという憂鬱な気分やネガティブな感情を示している。
  • 日常の忙しさもその問題が終わってしまえばなんということもないという気分を示している。喉元過ぎれば熱さを忘れる。
  • 日常の中で失ってしまったものを考えている。仕事などの忙しさに忙殺され、手放してしまったものを考えている。

この中では2つ目がポジティブな解釈、1つ目と3つ目がネガティブな解釈です。ここのフレーズは読み手自身の状態によって(もっと言えば一日ごとに)分かれてくるところかなと思います。

様々解釈できるため自由なフレーズだなと感心させられます。

大事そうにアイスをつついたのは誰?

前述の解釈ではアイスをつついていたのは短歌の読み手(主人公)でした。

他の可能性考慮したとき、映画の登場人物がアイスクリームを大事そうにつついていたのかもしれないと思いました。「大事そう」の「そう」の推測からこのように考えました。

この場合、読み手は第三者の立場からアイスクリームをつつく映画の登場人物を見ています。これはまさに先ほどまで読者の私たちが短歌の主人公を見ていた視点です。

わかりやすく図にすると次のようになります。

このように考えると嬉しいような、少し怖いような気がしてきます。

それでも一つ言えることは登場人物それぞれが他の人物の幸せを祈っているだろうということです。ループしているような感じがしますが、世の中には良くも悪くもそんな一面があるように思えます。巡り合わせや縁という言葉、情けは人の為ならずはこのことを表現した関連ワードだと思います。

自分の姿も短歌の主人公を見る時のように客観性を持って見られるようになると少しは生きやすくなるのでしょうか。

さいごに

いかがでしたか。アイスクリームの短歌から自分が考えたことを書きだしてみました。このブログを覗いた方が穏やかでいられますように。(1855文字)

参考資料

永井祐 著「広い世界と2や8や7」

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